2015年9月16日水曜日

怒り

とりわけ、SEALDsの女性陣への攻撃は、もはや犯罪レベル、サイバーテロとも言うべき酷さだ。本名や交遊関係がさらされ、あることないこと書き立てられ、グロ画像や猥褻画像を送りつけられる。下劣で性的な馬事雑言をSNSのコメント欄やツイッターで書きつける・・・etc。

志葉 玲さんのFacebookから


2014年に起こった香港の海傘運動でも、参加女性の「性」が反対派の攻撃対象となったそうです。

なぜこういうときに女性の性は必ずと言ってよいほど、攻撃の対象になるのだろう。


顔も名前も出して声を上げる女性たちの性を、攻撃対象にする匿名の弱虫たち。

怒りに胸がうずく。




強引なプリングルス

おいしいんだけど、とにかく捨てにくい。スチールの底の胴体への執着といったらハンパなく、ゴミをまとめる私の心を打ち砕く。

フィートをセンチに換算しないで輸出をするアメリカの強引さがよく出てる。

ちなみにオレゴンにいた時に、向こう100年間何を捨てても大丈夫なゴミ捨て場が掘ってあるって聞いたことがある。都市伝説か?

2015年9月10日木曜日

コルセット、纏足、そしていま。

美しければ健康である、というのはとんでもない誤解で、女性の美しさというのは往々にして健康を犠牲にするものである。

時代をさかのぼってみると、欧米で女性の美しさを象徴するものであったコルセット。腰回りをめちゃくちゃ締め付けるシロモノである。ひどい場合には、骨盤が割れるなんてこともあったらしい。

中国の纏足。小さい足の女性がよちよち歩きをする姿が、セックスアピールになったらしい。成長途中の足を大きくならないようにがんじがらめにが布で巻いてしまうのであるから、これはいわずもがなで健康に悪い。

こんなの例外的なものでしょ?、と思うかもしれないが、いまだって女性らしさを形作るいろいろなものは身体に悪い。

例えば、ハイヒール。後部の着地面が異様に小さく、靴底は薄い。外反母趾や、靴擦れ、さらにはふくらはぎの異様な疲れなど、身体によい要素は一つもない。

さらにはメイク。この前友人が、メイクをしたまま寝るのは、「ぞうきんを顔にかけたまま寝るのと同じらしい」と言っていた。その真偽はともかく、顔にいろんな化学物質をぬって、皮膚呼吸を妨げるのであるから、ふつうに考えて身体によいはずがない。

寒い時期のスカート。いくらブーツと厚手のストッキングで足を覆ったところで、ズボンにはかなわない。女性は身体を冷やさないようにっていうにね。

「健康的な女性がいい」って言うけれど、ノーメイク・スニーカー・ズボンの女性と、メイク・ヒール・スカートの女性。どっちがデートに誘われるか、どっちがかわいいと認知されるか考えてみてほしい。

ただ女性の美しさに関する最近の議論で注目したいのは、ほんとうに健康と美しさがセットで語られるようになったということ。

でもそれは、これまでの女性がおしゃれをして健康を崩してきたことによる反省からではなく、20世紀後半の私たちの社会がとんでもない健康オタクになったから。そして資本主義社会と相まって、健康は自助努力で達成できるもの、健康はお金で買えるもの、という考えが定着しているから。

健康はお金でなんか買えない!、と反論した人もいるかもしれないけど、星の数ほどあるサプリメントに、トクホのような健康食品、安全な食品、様々なエクササイズなど、私たちは健康になるためにお金をつかうのを惜しまない。

女性の美しさは常に時代の写し鏡となるけれど、昨今の「美しい=健康」ブームもちゃんと時代を反映しているのである。

ではそのような女性はほんとうに健康なのか?
美しいと社会に認知されること自体が、本人の心身の健康に少なからず影響を与えるはずなので、その身体自体がそもそも健康とは言い難いだろう。事実、若い女性のやせすぎは2000年からの日本の課題で、それ自体も「やせる=美しい」という価値を反映したものなのだから。