2015年12月12日土曜日

子どものことがわかる人

多数派の当事者の言葉ほど、怖いものはないと思う時がある。

先日こんな話をある看護師さんから聞いた。

彼女はもう20年近いキャリアがあるベテランの看護師なのだが、子どもはいない。
彼女が小児科に勤めていた際、先輩の看護師が彼女にこんなことを言ったという。


「子育てをしたことのないあなたに、子どものことはわからないよね」


同じような話を小学校の教員からも聞いた。


「結婚をしていない先生に子どものことはわからない」


保護者からの言葉である。


なんてすごい暴力だろうと思う。


目の前のこの人が、不妊で悩んでいたり、結婚相手が見つからずに悩んでいるかもしれないなんてことを、子どもがいるこの方たちは想像もつなないのだろう。「思いやりをもちなさい」なんてしたり顔で自分の子どもにいっていないことを願うばかりである。


子どもに一切かかわったことがなければ、子どものことはわからないかもしれない。しかし子どもと常にふれあう場を職場としていれば、そこでのプロフェッショナリティーは確実に身に付く。その専門知の中には「親」が知りえない子どもについての知識も当然ながらあるだろう。


「子どものことはわからない」と子どもがいない大人に向かって言い放つ親は、知らず知らずのうちに「子どもがいる自分」を「子どもがいないあの人」よりもエライと思い、より多くを知っていると考えていることがみえる。


確かにその人たちは、自分の子どもについては、子どもがいない彼女達よりもわかっているのかもしれない。でも、子どもがいることは、「子ども一般」についてわかっていることでは決してない。 あなたの子どもは子ども全部の代表ではないのである。

親だったらより素敵な看護師とか、親だったらより素敵な教員、なんてシンプルな世の中ではないことは歴史が証明している。多数派の当事者がふるう何の気なしの暴力はたちが悪いし、恐ろしい。


ところでこの話には先がある。
その看護師の彼女、先輩に向かってこう言い返したのだという。


「子どもだったことはあります!」


その通りである。