2016年4月28日木曜日

あなたの身体を変えさせたいのは誰か?-からだのシューレ第2回 (6月2日 19:00~) 


今の日本では、ブスやデブやハゲは笑いの対象であり、美形でスタイル抜群の男女を賞賛することが「当たり前」とされている。この「当たり前」を前提としてテレビをはじめとしたメディアコンテンツはつくられ、笑いの線引きがされてきた。
(2016年4月15日messy 「女芸人のブスネタが通用するのは国内限定。アリアナ・グランデ「近藤春菜はすごくかわいい」」より)

日本によくある女性芸人の自虐ネタ


近藤春菜さんの「マイケル・ムーア監督やシュレックに似ている」という自虐ネタがアリアナ・グランデに全く通用しなかったという記事。


3月に行った「からだのシューレ」でも、小学生のとき男子にブタと言われたことがやせたいと思うきっかけになったという人がいました。

『なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学』に登場する結城さんは、小学校の時に「体型からして(生理に)なっているぞ」とクラスメートの前で何度も中傷されたといいます。

作家の川上未映子さんんも加齢に対する他人の指摘があまりにも許容されている現状にモノ申していました。(【第2回】 男性は女性の美醜をいつなんどきジャッジしてもいいと思っていませんかね? それはなぜ?


身体的特徴に対するからかいは「笑ってやり過ごすべき」、「そんなことを受け流せばよい」という世間に確かにある風潮は、このようなお笑いのネタでも増長されるのかもしれません。


「あれもだめ、これもだめ。そんな言葉狩りみたいな風潮はもうごめん」と思う人もいるかもれませんが、人が気にしているかもしれない身体的特徴を「笑い」にしなくても、いくらでも「笑い」を生み出す方法はあるのではないでしょうか?知らないところで誰かを傷つけないと得られない「笑い」はあまりにも低俗ではないでしょうか。


「笑ってやり過ごすべき」という風潮の中で、気にしていない風を装いながらも傷つき、必死に「笑われない」身体になろうとしている人は確実に存在します。


「からだのシューレ」では私たちの身体を取り巻く、身体についての言葉の数々についても考えていきたいと思います。

2016年4月18日月曜日

その人にしかないものー三宮麻由子×イチロー

『考える人』2016年春号(p8-9)より


日本人の声が変わったと思い始めたのは、6,7年前からだろうか。特に女性の発声が違ってきた。喉からまっすぐ声が出ず、声帯の橋に突っかかるような「躓いた声」が多くなった気がするのだ。

実は「躓いた声」からはその人の様子が想像しにくい。痩せ形なのか、お澄ましなのか、私に対して誠実なのか…彼女らが美人だと教えられても、声からは美人感が共有できない。


病気のため4歳で光を失った、三宮麻由子さんのコラムからの一節。

次にイチロー選手と稲葉篤紀さんの対談。



「トレーニングで身体を大きくするのが流行っている」という稲葉さんからの問いかけに対し「全然だめでしょ」、「自分の持って生まれたバランスを崩しちゃダメ」と即答するイチロー選手。


どちらも活躍する分野は全然違うけど、みんなが素敵だと思う「見えるもの」に走って、本質を失ういまの私たちにありがちな姿勢を突いている。

でもそんな世の中だからこそ、自分にしかないものを見つけた人は強いし、揺るがない。










2016年4月11日月曜日

「社会人大学院生の学び」から学ぶ

現在の大学院に赴任して3年目の春。2年目の終わりは、私が初めて入った年に入学した大学院生さんが修了する年でもあった。

こんなに勉強したことはない
人生で一番本を読んだ時間だった

関わらせてもらった院生さんたちが口々にそういっているのを聞いて私は正直とても驚いてしまった。

卒業と入学と
なぜなら早稲田にいたときに学生からこんな言葉を聞いたことはなかったから。

勉強はしなかったけど、いろんな人に会えて楽しかった。
勉強はしなかったけど、サークルでいろんなことを学んだ

勉強は添え物でそれ以外のことが大学生活の中心になることが大学生のふつうだし、「勉強はしなかった!」ということがある種の自慢になるような雰囲気もある中で、院生さんたちのこういう言葉の数々に私はとても感動してしまったし、こういう人たちの学びに関われたことはすごく幸せなことだったんだな、と院生さんたちが修了した時に気が付いた。

うちの大学院は、臨床経験を長く積んできた人が入ってくる大学院。管理職について何人もの医療職をまとめている人も多い。だから授業では私が年下のこともすごく多い。

30代、40代、50代は、10代、20代とは全然違う人生の大変さと深さがあるだろう。

仕事、パートナーとの関係、子育てに家庭のさまざま、親の介護や、職場での人間関係、そしてこれからの自分の人生の行き先。

そういうものを抱えながらも、ものすごい時間とお金をとにかく投入して、「学ぶ」ことを選んだ背景にはいろんな理由があるんだろう。その背景を私はすっかり知っているわけではないけれど、しっかり正装をして晴れ晴れしい顔で卒業写真をとっているみなさんの姿をみて、私はわかっているようでなんにもわかっていなかったんじゃないかとうしろめたい気持ちになった。

3年目の今年は、このことを忘れず授業に向かおうと思う。




2016年4月6日水曜日

【ジンルイカフェ2】ヨガ×ドイツ語~人類学が切る、プロ講師の知


面白すぎるイベント、ジンルイカフェの第2回開催が決定しました!

前回のボクサー×ピアニストに続き、今回は何とヨガとドイツ語の先生の激突。今回も目が離せません。
今回も不思議な接点が見つけられそう

すごく楽しいので来て損はないですよ!

前回の様子はこちらからご覧になれます。


2016年4月5日火曜日

「からだのシューレ」 第1回終了!-あなたはなぜやせたいのですか?

はじめての試み、「からだのシューレ・一億総やせたい社会を見つめるワークショップ」が先日(3/30)に終了しました。

「5名く来てくだされば御の字!」と思っていたのですが、予想に反して10代から60代まで15名の方が集まってくださり、ディスカッションも大いに盛り上がりました。

初回のテーマは「やせたい気持ちとマーケットの関係を考える」。まずはじまりは「やせたい気持ちがいつ、そしてなぜ始まったか」についてのディスカッションから。

そこで出た意見が「やせる」ことの本質をついているものだったので紹介します。

皆さんの意見はホワイトボードに貼り出し

 「あなたはなぜやせたい/やせたかったのですか? 」

  • やせると美しい見た目に…あと着たい服が着られる。モテそう
  • 男子にブタって言われて嫌だったから
  • やせた自分でなければいけないと思っていたから
  • 周りからの悪い評価が怖いから
  • 他人から「キレイ」と言われたかった
  • やせればやせるほど速く走れると思っていたから→その後、それだけでなく ユニフォームがお腹の出る露出度の高いものであり、それも影響したというお話あり。
  • お腹のぽっこりが気になるから=服の着こなしに影響?(人からの指摘)
  • やせるように言われたから
  • 思春期太りをしていじめられてしまったことが忘れられないので…。太っていると良くない気がする
  • やせると「やせたね!」(ちやほや)太ると「太ったね!」(呆れ・見下し) やせてる方が洋服を着こなせた(と思っている)
  • 美しくなりたかった
  • 自分の肉がきもち悪い。醜く不快に感じる

はじめて「やせたい」と思った時期は、小学校中学年~高校生の間。もっとも多かったのは小学校高学年から中学生でした。そして意見をみるとわかるように、「やせる」ことが明確に他人からの評価と結びついていることがわかります。

やせることは「自信」とか、「健康」とか、「なりたい自分」とか、自分自身と結び付けて語られることが表向きは多いです。ですが その裏側では「他人からよくみられたい」、「他人よりも素敵な身体になりたい」という比較や競争の視点が入っていて、そのような価値観を小学校~中学校という多感な時期に、しらずしらずのうちに身につけているということがわかります。

参加者の方の中には小学1年の娘さんがいらっしゃる方もおり、その方のお話しによると、1年生の頃からやせることがうらやましい、 やせたい!と思っている女の子が結構いるとか。生まれて10年にも満たないころから自分の身体がよくないと思う気持ちっていったい何なのでしょうか?

やせたい気持ちと身体というマーケット

ディスカッションでアイスブレークをした後は、身体についての文化人類学のレクチャー。「なぜやせていることが美しさと結び付けられるのか」、「なぜやせは加速するのか」について、「身体というマーケット」をキーワードに、経済の仕組みと結び付けながらお話をしました。

ここでいう「身体というマーケット」とは、あなたの身体は十分ではない、あなたの身体はもっと素敵になれるし、そしたらあなたの人生はもっと輝く」という市場からの呼び声のことです。

名前は近寄り難いけど、すごく身近な学問が文化人類学!  

 レクチャーの後は、「『身体というマーケット』に取り込まれていると思う瞬間は?」、「身体というマーケットから降りることは可能か?」というお題をテーマにディスカッション。

「(そういう瞬間が)ありすぎて逆に具体的に浮かびません」という皆がうなずく意見から、「健康食品(オーガニックのもの)とかジムに行くことがカッコ良い。それで、スタバのカップを持っていると素晴らしい」といった会場が笑いに包まれる意見まで、さまざまな意見が飛び交い、身体というマーケットに私たちは日常的にとり囲まれていること、それから降りることの難しさが共有されました。

終わりに書いていただいたアンケートでは、「時間があっという間に過ぎてしまいました!」、「普段段恥ずかしくてとても言えないような悩みを皆さんが持っていることがわかり、それを共感だけでなく学問的に知ることができた」、「文化人類学をもっと学んでみたい!」、「次回も参加したい!」という意見など、参加したことに意義を見出してくださった方がほとんどで、嬉しくなった私たちは2回目も企画することになった次第です(笑)


第2回目のテーマは、「数値と身体の関係」について。数値で身体を評価し始めるといったい私たちの日常には何が起こるのでしょうか?文化人類学の観点を交えながら考えてみます。日程・場所はまだ未定なので、決まり次第告知します!